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  社会福祉法人石井記念友愛社
   宮崎県木城町椎木644−1
TEL0983−32−2025FX0983−32−3916

       理念
天は父なり人は同胞なれば
互いに相信じ相愛すべきこと
   〈石井十次の言葉〉

労作作文
(中二M女)



三友館の女子寮に上がり、本格的に「労作」に取り組むようになり
今年で三年目です。友愛園の「労作」には、田植え、稲刈り、畑や花の手入れ、
掃除があります。それと女子の方は、調理場での手伝いや配膳もあります。
私たちは毎年いろんな作業に取り組みますが、その中すぐに頭に思い浮かぶのは、
やはり一番大変な思いをして頑張った「田植え」と「稲刈り」です。
「田植え」では、私は「苗取り組」でしたが、ここの卒園生である母親も
一緒に参加してやりました。途中腰が痛くてきつくなってきましたが、
横で母親が「さあ頑張れー!」と言いながら笑顔でどんどん苗を取る姿を見ると、
私も負けてはいられないという気持ちになり、一緒に一生懸命最後まで
頑張りました。終わった後には大きな達成感があり大変気持ち良かったです。
他のみんなもすがすがしい満足そうな顔をしていました。

私たちは、ここで自給自足の生活をしていますが、自分たちで汗を流し苦労して作った
お米や野菜を口にすると、家で食べるのとは全然違って大変おいしく感じ、
自然と食べ物に対する感謝の気持ちが持てます。
だから、苦手だった野菜もここでは残さず食べています。

また、友愛園のまわりは自然がいっぱいで、花の手入れや男子のほうでは
木の剪定をしたりします。そのため一年中、きれいな花や木々の季節ごとの
移り変わりを目にし、心が癒されるし豊かになる気がします。
園に来た人たちにも喜んでもらえるのは嬉しいです。
私たちは、ここでいろんな作業に取り組んでいますが、何でもプラス思考に
考えてやれば、その中少しずつ社会に出た時に必要な忍耐力や精神力
が身につくと思います。私たちはまだ自分に甘い所が沢山あり、
怠け心に負けそうになったりしますが、中二で下級生もいるので、
上級生としてもっと頑張る姿を見せ、まわりからも信頼されるようになりたいです。
ここでの「労作」をもっと普段の生活にもいかせるようにしていきたいと思います。


労作作文
(中二 A男)


僕は三友館にきて二年目になりました。この一年の労作の取り組みを
振り返ってみると掃除や様々な作業に少しずつ慣れてきたと思います。
今年の米作りでは昨年よりすばやく行動することができました。
田植えでは初めて植え方に入り、先生や先輩方に教わりながら
自分なりに頑張れたと思います。米作りにおける
すべての作業を皆で協力しやり遂げることができました。

一般の家庭ではなかなか体験できない「労作」が園生活の柱としてありますが、
労作をする意味を自分なりに考えてみました。それは将来自分たちが就いた
職業できついことがあってもきちんと乗り越え、耐えていける為の強い精神力と
忍耐力を身につけるためだと思います。今、世の中は景気が悪く就職するのが
難しい時代です。また、働かずに家に引きこもっているニートと呼ばれる
人たちもたくさんいると聞きます。僕は高校を卒業したら祖母や兄に頼らず
きちんと自立しなければなりません。厳しい社会に打ち勝つためには、まず
今与えられている労作に精いっぱい取り組み、心を鍛えていきたいです。
そう考えると今、労作ができることは大変幸せなことだと思いました。
僕は作業で気が利かないことがあるので、常に次はどんな作業をするのか
もっと気を利かせることをこれからの目標にしたいと思います。

最後に今年は口蹄疫が発生し、園でも三頭の尊い命が失われました。
まだまだ不十分な面はあったけれど、僕なりに牛たちの世話を頑張っていたので
殺処分されると知り、大変悲しかったです。僕はまたいつか園に牛が戻ってきて
みんなと楽しく笑顔で育てていけたらいいと思います。
そして命の大切さについてもっと学びたいと思います。

僕は今、中二で高校を卒業するまでまだ時間があるので、日々の労作に一生懸命
取り組み、社会に出たら祖母を支えられる心の強い男になりたいと思います。


稲刈り



8月19日に中・高生男女と職員とで稲刈りを行いました。米作りは友愛園の
労作教育の中心ですが、稲刈りはその最後を締めくくる大事な作業です。
4月の終わりに手で植えた稲は、天候にも恵まれ大きく成長していました。
その稲を一束ずつ鎌で刈り取っていきます。稲の持ち方を間違えたり、気を抜いたりすると、
鎌で手を切ることもあるので、緊張感を欠かすことのできない仕事です。
もちろん、怪我をしないように、刈り方についてはくり返し丁寧に指導します。
高校生は途中から脱穀作業に回ります。脱穀は園長が中心になって、
稲刈りと並行して田んぼで脱穀機を使って行います。稲刈りよりも
時間がかかる作業です。高校生たちは黙々とその作業に取り組んでいました。
初めての者は、力も弱くうまく刈れませんでしたが、だんだん慣れてきて、
手際よく鎌を使えるようになりました。今年は倒れ伏している稲が多く
刈るのに苦労しましたが、みんなで協力して一生懸命に作業したおかげで、
一日で稲刈りを終了することができました。収穫に感謝します。

「稲刈りでは3列刈った後に脱穀組に入りました。最初は楽だなと思っていましたが、後半は
体力が奪われて大変でした。でも何とか無事に終わらせることができました。そして
8月20日に食べた新米はすごくおいしくて、頑張った甲斐があったなあと実感しました。」
(中3Y男)




2010年、宮崎県を襲った口蹄疫のために、友愛園で飼っていた三頭の牛
「なつき」「はるこ」「夏平」も殺処分となりました。
そして8月10日午前9時過ぎより、子ども達みんな集まって、慰霊式を行いました。
取っておいた尻尾の毛を埋葬し花や手紙を添えて、墓標の前で皆黙祷し冥福を祈りました。

友愛園の宝物
中1 K人



「モオー」
いつも元気に泣いていた牛が殺されるなんて思いもしませんでした。
友愛園では、牛を三頭飼っていました。毎日みんなで牛の世話、掃除をしていました。
掃除というと、朝はえさやり、しき草たしなどです。また、学校から帰ってきたら、
牛を出して小屋の掃除をします。そしてキレイになったら、しき草をまいてまた牛を入れます。
それから、えさがなくなっているので、えさをたして終わります。
そんな毎日の牛の世話を大変だなと思ったりした時もありました。
しかし、そんな時、口蹄疫という問題が出てきました。僕は最初何も知らずに
どんな問題か分かりませんでした。したし、ぶた、牛に感染したら殺さないといけないと
先生から聞きました。そんな話を聞きながら僕は
「木城から遠い所で発生しているから友愛園の牛は殺されないだろう」
と軽い気持ちでいました。しかし、どんどん不安になりました。
それは、新聞に口蹄疫という問題が大きくのっていたからです。○○町で
感染など毎日のようにのっていました。それだけでなく何十頭も死んでいました。
僕はこの時、「なんでもっと早く国が動いてくれないのかな」と疑問もわいてきました。
現実に、町のある地区で1頭の牛もいないというところも出てきました。そんな大変な
ことになっていました。車も消毒したりして、感染を広げないように必死で努力しましたが、
とうとう友愛園も殺されてしまう区域になってしまいました。
いつもみんなで育てていた牛が殺されることになると、こんなに悲しいのかなと
思いました。殺される1週間ぐらい前から牛舎にも入れなくなりました。
少しはなれた所から牛を見つめているだけでした。牛もただ元気なく
「モォー」と鳴いていました。そんな日々を送っているうちに、とうとう牛が殺される日が
きました。その1日前にみんなで牛舎をキレイにしました。わらもたくさんいれてふかふか
体もキレイに洗って、えさも山盛りにしました。しかし牛はまったく喜びません。
いつもなら「モォー」と元気よく鳴くのに・・・
やっぱり牛は気づいていたのだと思います。自分が殺されることを・・・
こんな牛の様子をみていた僕は、いつもなら大変だなぁと思う牛の世話を
この1日だけずっと続けていたいと思いました。それは牛が
大好きだったからです。時々牛に怒ることもありましたが、牛はやっぱり宝物です。
そんな、友愛園の宝物。また、そんな宮崎の宝物をすべて殺さないといけないなんて
なんと悲しいことでしょう。そんな牛、ぶたが、1頭でも多く宮崎に、また友愛園に
戻ることを祈っています。そして、友愛園に牛の鳴き声が戻ることを。

*この作文は木城中学校文化祭で発表されものです。


2010年1月
友愛園のお正月



元日の朝は強烈な寒さだったけれど、日が昇ると気温も上がり、穏やかな正月となりました。
早くも、日本水仙が白い花を開き、その陽ざしを受け止めています。
 友愛社の本館・友愛園には、朝から多くの来訪者があります。
里帰りした卒園生や成人式を迎えて着飾った卒園生などが、
父親代わり・母親代わりとなって育ててくれた理事長や職員の先生たちに挨拶に訪れるのです。
友愛園で育った卒園生にとっては、この茶臼原と友愛社こそが「ふるさと」なのです。
 午前10時頃になると、友愛園の食堂に、子どもたちと理事長以下友愛社の職員・指導員などが集まります。
50人ほどが生活する友愛園では正月に実家に帰る子どもたちもいますが、ここでお正月を迎える子も多いのです。
部屋に和やかで親密な空気が流れます。
理事長の年頭あいさつの後、調理師さんとボランティアの皆さんが心を込めて作ってくれた正月料理をいただき、
各自、去年一年の反省と年頭の決意を述べます。どんな小さな子も、健気に立って、今年の目標を語るのです。
 こうして、友愛社と友愛園の一年が始まりました。世の中はめまぐるしく変わっていきますが、
ここには、石井十次とその後に続く人たちが築いてきた百年の歴史があり、
がっしりとそれを受け止める茶臼原の大地と自然があるのです。
今年もゆるやかな時間に抱かれて、しっかりと確実な歩みが進められてゆくことでしょう。  


作文

11月23日の収穫感謝祭では、友愛園「三友館」の子供達が
『労作』という題で作文を書いて発表しました。
1年を通し子供たちは様々な農業体験を重ねていきます。
卒園後、社会人として働いて生きていくための訓練であり、
人の世話に甘んじず、自分達のことはできるだけ自分達でする
という誇りを養うための訓練でもあります。
皆、それぞれに内容のある作文です。今号よりその作品を掲載します。




三友館一泊旅行
「郷中旅行」

高1 Y男

1月20日〜21日、三友館男子・十次の家は、鹿児島に一泊旅行へ出かけました。
この旅行では、鹿児島の郷中教育と西郷隆盛について学びました。
維新ふるさと館を中心に、南州墓地や城山を観光しました。
メモを片手に一生懸命学んでいる児童の姿も見られました。
また、郷中教育は園生活に似ている所があり、子どもたちも自分たちの生活に
照らし合わせながら学んでいる姿が目に付きました。
二日目の水族館見学ではサメのえさやりなどを見て、
子どもたちからは感嘆の声があがっていました。
鹿児島の昔の教育を学ぶことができ、とても充実した思い出深い旅行となりました。
「今回、鹿児島に行って西郷隆盛について学びました。
学校の歴史で習うより詳しく勉強できて、とてもイイ経験になりました。」



10qハイキング―凧あげ大会―
(商店街コース)

中3 Y子

1月16日(土)晴れ上がった青空の下で10qハイキングが行われました。
木城の友愛園から高鍋の蚊口浜までの10qを歩きます。
凧あげ大会も兼ねているので何日も前から竹ひごを使って和紙を張った凧も作りました。
最初の班が8時15分にスタートして高鍋の一番街の商店街を通り、
蚊口浜に着いたのが10時30分でした。11時にはすべての班が到着しました。
凧をあげ貝を拾ったり、昼には、園で取れた野菜がたっぷり入った豚汁
と園で取れたお米で作ったおにぎりをいただきました。
帰りは園の車で帰園しました。
「今年は合格凧を作りました。あがるかどうか心配だったけど、無事あがってくれました。
毎年あがらなくてすぐにあきらめていたけど、班のみんなが一生懸命だったのであがりました。
高校合格したいです。」



労作

中1 A子

「労作は何のためにするのだろう。」まだ確実に意味は分からないが、中学生になり三友館に上がって約八ヶ月経ち、米作りや野菜の手入れ・収穫、花の手入れや掃除、調理場の手伝い、配膳等いろいろ体験する中、少しは自分なりだが分かってきたような気がする。 
 四月の三友館に上がったばかりの頃の私は、まだ労作に対し「生活するために欠かせないから・・・」という浅い考えだけだったが、今はその頃と受け止め方がだいぶ違ってきた。
 そのきっかけはやはり稲作で、その中でも八月の暑い日、太陽の日差しが強い中での稲刈りだった。作業の途中、草が沢山だったり、稲が倒れていたりしていて、苛立つこともあった。また、日差しが強いので、「休みたい、だるい・・・。」と怠け心に負け、時々マイナス思考になったりもした。しかし、それでもコツコツ作業をし続け全部やり終えると、充実感と達成感が大きく膨らんで心の中が変わった気がした。

 もしかしたら、それは精神力・忍耐力が労作を通して少し自分に身についたからと思う。それら、皆と一緒に汗を流すことの素晴らしさも感じた。友愛園では、米の他にいろいろな野菜も作り自給自足の生活をしている。このことも今の自分にとって大変貴重な経験だと思う。今の私の労作に対する考え方は、以前とは違い、これまでのいろいろな作業を通し、「生活のためでもあるが、社会に出た時にやっていける力をつけるためにする。」というのに変わった。だから、これからどんな仕事を任されてもプラス思考で愚痴を言わず、コツコツ努力していきたい。そして、自分の心の成長を親にも見せられるように頑張りたいと思う。



稲をそだてること

高1 B男

 僕は今年で、労作作文を書くのは二回目です。僕は去年まで、中学生だから労作は周りの人から教えてもらいながら少しずつやっていけばいいだろうという考えでした。
しかし、今年からは高校生になり下級生に教えたりする事が多くなりました。
だから、今は考え方を変え、一年間の労作の目標を下級生などに教えながら、
丁寧に素早く作業をしていくということに決めました。

 この目標について今までの自分を振り返ってみると、
四月当初はまだ目標への意識が低くあまり教えることができませんでした。
だけど、最近は少しずつ教えることが出切るようになってきました。
だから、高二になるまでには今の目標を完璧に達成できるように頑張りたいです。

 高校生という立場になり、先生方だけでなく下級生からも
信頼を得るような存在にならないといけないと思います。
毎年恒例作業になっている田植え・稲刈りについても
作業の中心にならなければならないし、下級生に
分からないところを教えてあげたりと高校生は色々な役割がありました。
僕は、今年田植えでは自分の事しか出来ず周りには教えたりすることが
出来ませんでした。だけど、稲刈りでは自分のこともちゃんとしながら、
周りにも教えたりすることができました。来年は、
田植えでも今年の稲刈りのように高校生としてしっかりしていきたいと思います。

 また、僕はただ作業をやっているのではありません。
将来、社会に出た時に苦労しないような精神力・忍耐力を育てる事、
家の人を安心させられるように周りの信頼を得るために取り組んでいます。
 僕の将来の夢は、調理師です。調理師になるためには、
知識・技術はもちろん必要だとは思いますが、
精神力・忍耐力も同じ位大切だと思います。
精神力・忍耐力が弱く知識・技術だけある人が調理師になっても
すぐ仕事を辞めたりすることにつながると思います。
だから、調理師には知識・技術と同じ位精神力・忍耐力が大切だと僕は考えます。
さらに今のうちに作業で野菜の作り方や色々な技術を身に付けて、
将来自分で作った野菜で料理をしたいと思います。

将来、後悔することがないように作業の中でも少しでも成長していきたいと思います。



収穫感謝祭では、友愛園の仲間たちも作品を出品しました。
作品は、三友館に展示され、会場には多くのお客さんが訪れ、
熱心に見て下さいました。



2009年
石井記念友愛社
収穫記念感謝祭



11月23日、勤労感謝の日に収穫感謝祭が石井記念友愛社にて、友愛園、のゆり保育園、
やまばと保育園、にっしん保育園、こひつじ保育園、明倫保育園、十文字保育園、
茶臼原自然芸術館の合同主催で行われました。
前日の雨が嘘のように晴れ渡る中、沢山の方にご来場いただきました。
収穫感謝祭では、子ども達が一生懸命育てた野菜を使って作った、
大地カレー、ぜんざい、芋ちゃんクッキー、
茶臼原元気パン、おでん、わたがし、ポップコーン等の屋台が並び、
来場者のみなさんに日頃の感謝の気持ちとして無料で゜ふるまわれました。
会場では、石井十次先生の歌の合唱を皮切りに、保育園児の遊戯、もちつき、
空手道型〜演舞・分解(友愛園児)、
オカリナ演奏、和太鼓(西都古墳太鼓の皆さま)、
農産物販売や展示(茶臼原自然芸術館)等が行われ、可愛らしい演技と、
魂を揺さぶる太鼓の音、晴れ渡る空にオカリナの涼やかな音色が響き渡り、
とても盛り上がりました。
労作展も、三友館には園児や賛同者の方々の作品、労作作文が展示されました。
「祈りの丘空想ギャラリー」には「天と自然への感謝展」と題して
保育園児の素晴らしい作品が展示されました。
天気にも恵まれ、今年も無事に収穫感謝祭を終える事ができました。

「石井記念友愛園」は、友愛社の中核をなす福祉事業であり、その施設です。ゆったりとした時間と空気が流れる茶臼原の大地で、約50人の子供たちが暮らしています。広々とした敷地内には、種々の花が植えられ、樹木が繁り、古い建物と新しい建物が時代を超えて調和しています。それは石井十次とその仲間たちが、この茶臼原大地を開拓した時代から残し続けてきた、絵・写真・文書・彫刻・石片などともに、訪れてくる鳥や虫たちなどが、全体としての風景をかたちづくっているのです。
ここ茶臼原の地には、このような「友愛社文化」が着実に根付いているといえます。友愛園ではこのような環境の中、子供たちを、慈しみながら教育しています。戦後、石井十次の理念を継承した、先代理事長の児嶋?一郎の掲げた「自然主義、家族主義、農業主義」の運営方針を引き継ぎ、多方面な教育活動が展開されているのです。

石井十次は、日本における福祉事業の先駆者です。慶応元年(1865)に高鍋町に生まれ、最初は岡山で医学を学んでいましたが、ある貧しい母子との出会いをきっかけに、23歳で本格的な児童救済事業を始めます。岡山孤児院を創設し「児童福祉の父」と呼ばれた十次の元には、一時は1200名もの子どもたちが保護されたといわれます。施設内には私立の小学校も開設され、ユニークな教育も行われました。石井十次が孤児救済の父・福祉の先駆者などと呼ばれるのはこのことによります。

やがて、フランスの思想家ルソーの『エミール』の感化を受けた十次は、 木城町と西都市にまたがる茶臼原で「自然・労作」教育をしようと、 明治27年、岡山からの大移住を開始します。 児童や職員はもとより、建物も解体して茶臼原の地に再現し、そこで理想的な農村共同体を実現するつもりでした。

ところが、大正3年に十次は志半ばで倒れ、その事業はいったん閉じられます。

その後、昭和20年に太平洋戦争被災児救済を目的に再開。、『石井記念友愛社』が創設され、児童養護施設や保育園も運営されることになりました。当時の建物はそのまま残され、一角に建てられた資料館には十次の遺品や人間国宝の芹沢_介製作のステンドグラスも寄せられ、十次の偉業を伝えています。

現在の友愛社は、これらの歴史と理念を継承し、約50人の園生が生活する「友愛園」と友愛社が運営する七つの保育園、二つのデイサービス事業、石井十次の生涯と友愛社の歴史を記録する「石井十次資料館」などを中心に運営されており、また、それを支援する後援会「石井十次の会」があります。そして今年「茶臼原自然芸術館」(障害者就労継続支援型事業)が開館、自然布の染織と無農薬農業の実践を通して障害者の技能習得と自立を支援します。豊かな自然に抱かれた茶臼原の大地で、石井十次がめざした「福祉と芸術が融合した理想郷づくり」の夢の実現へ向けて石井記念友愛社の新しい歴史が刻まれてゆきます。

石井記念友愛園

       方針
   自然主義 健康をつくります
   家族主義 家族をまもります
   友愛主義 家庭をささえます

  ゆうあい通信
石井記念友愛社の現・理事長児嶋草次郎のエッセイです。友愛社と茶臼原のの日常が綴られます。

   到達目標
 友愛の地域社会つくり