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□茶臼原自然芸術館のページ□

裂き織りは究極のリサイクル



友愛社理事長・児嶋草次郎の知り合いの方から、「古着」のご寄贈がありました。
ありがとうございました。
段ボール箱に詰められ、送られてきた大量の衣類は、その方が、
大切に身につけておられた絹や木綿などの趣味の良い着物類で、
古き良き時代の着物姿の女性を思い浮かべさせてくれるものでした。



古くなって使われなくなった衣類や布団地などの布類は、かつては「ボロ」として
捨てられる運命にありましたが、近年では、「古布」と呼ばれ、パッチワークの素材や
「古布の服」、「アンティーク着物」などとして再利用され、さまざまな用途が生まれています。
一本一本の糸を手仕事で生み出してきた「素材=生地」としての実力が、
新たな価値観を産み出し、現代生活にマッチするかたちでよみがえったのです。



茶臼原自然芸術館では、開館以来、この「古布」を利用した「裂き織り」
に取り組んでいます。「裂き織り」とは、古い衣類などをほどいて元の「布」にもどし、
それを細く裂いて糸とし、よこ糸に織りこんで、再び「布」として織りあげたものです。
もとのデザインや用途から離れ、再び新しいいのちを得た布たちは
斬新なデザインと提案力を合わせ持ちながら、新しいジャンルを開拓したのです。
「裂き織り」は、ひとすじの糸も一切れの布も大切に使い続けて来た日本の女性の
「もの」をいとおしむやさしい心が産み出した「究極のリサイクル作品」といえるでしょう。



「裂き織り」は、まず「素材=古布」を選別する作業から始まります。「布」には絹、木綿、
麻、ウール、化学繊維などの種類があり、それぞれの繊維によって、
用途やデザインが違ってくるのです。次に選り分けられた布を
洗って干し、それから細く裂いてゆきます。
年月を経て、たて糸が弱くなっている場合はハサミで切ることもあります。
この細い布が次の作品を作りだす「よこ糸」となります。



裂き布が準備されたら、織り機に糸を仕掛けます。たて糸には主に木綿糸を用います。
たて糸の配色と、よこ糸に入れる裂き布の組み合わせによって、
さまざまなデザインの布が織りあげられてゆきます。



こんな作品が出来ました。
作品は通信販売もしています。
詳しくはこのホームページの
「ゆうあいショップ」のコーナーをご覧ください。

《裂き織り布》 
たて糸・藍染め木綿/糸よこ糸・絹古布
38cm×4m
初心者制作のためやや打ち込み甘いが、
服地や袋者生地などに転用可。
よこ糸の白が効果的


《裂き織り布》
たて糸・藍染め木綿/よこ糸・絹古布
38cm×2m10cm
よこ糸に使った無地ピンクの絹古布と
たて糸の藍色が混じって良い風合い。

 
《裂き織り布》
たて糸・色染め木綿各種/よこ糸・黒無地絹古布
38cm×5m80cm
たて糸の配色の妙。写真右は展示風景、写真左は部分


《裂き織りテーブルセンター》
たて糸・色染め木綿糸/よこ糸・絹古布
40cm×52cm


《裂き織り細紐いろいろ》


《裂き織り一輪ざしいろいろ》


《裂き織り携帯電話入れいろいろ》

じゅうじ織りとじゅうじ染め


         


「茶臼原自然芸術館」では、通所者の皆さんとボランティアスタッフ、職員などが協働して制作した「自然布」による作品を「じゅうじ織り」、草木染めや藍染めの作品を「じゅうじ染め」と名付けました。かつて石井十次が行った染織の事業にちなむ命名です。これらのストール、帽子、携帯電話ケースや一輪差しは、門川町の古民家ギャラリー「陽だまりの家」で開催される延岡・日向地域の染色仲間のグループ展「秋の手作り作品展」と、東京・京橋のギャラリー「アートスペース繭」で開催された「月下の仮面祭」に協賛出品され、デビュー。自然布とは、周辺の山野や森から素材を採集し、糸を採り、織った作品のことです。「裂き織り」とは古い着物などを細かく裂いて横糸に織り込んだ布のことで「究極のリサイクル」と呼ばれます。染色は、茶臼原の森から得られる草木を用いて、丁寧に染め上げます。素材はタイ産のシルクで、帽子、ストール、ハンカチ、マフラーやジャケットなどの衣類が主です。二つのギャラリーでの展示会はいずれも好評で、多くのお客さんの目に止まりお買い上げいただきました。今後の作品作りの課題も多く得られて収穫の多いデビュー展示でした。


門川展/秋の手作り作品展
2009年10月15日〜21日
門川町庵川西 古民家ギャラリー陽だまりの家


  
  

陽だまりの家の展示は、延岡・日向地域で染色や工芸などの物づくりをおこなっている人たちのグループ展への協賛出品でした。陽だまりの家は古民家を改装したギャラーで、多りくのお客さんでにぎわいました。

東京展/月下の仮面祭
2009年10月13日〜22日
東京都中央区京橋 アートスペース繭

  

京橋・アートスペース繭は、染織作品とアート作品を主体に扱うギャラリーで、全国の染織作家のあこがれのスペースです。今回はこのギャラリーで10年以上、毎年企画展を開催している茶臼原自然芸術館の指導員・高見の企画に組み込む形式で出品しました。茶臼原自然芸術館の作品も、古い九州の仮面や自然布の古布資料などと一緒に展示され、輝きを放っていました。眼の厳しいギャラリーのスタッフや常連のお客様などから、お褒めの言葉や励ましをいただきました。ありがたく、うれしい東京でのデビュー展でした。

    ゆうあい通信
石井記念友愛社の現・理事長児嶋草次郎のエッセイです。友愛社と茶臼原のの日常が綴られます。

石井十次は、日本における福祉事業の先駆者です。慶応元年(1865)に高鍋町に生まれ、最初は岡山で医学を学んでいましたが、ある貧しい母子との出会いをきっかけに、23歳で本格的な児童救済事業を始めます。岡山孤児院を創設し「児童福祉の父」と呼ばれた十次の元には、一時は1200名もの子どもたちが保護されたといわれます。施設内には私立の小学校も開設され、ユニークな教育も行われました。石井十次が孤児救済の父・福祉の先駆者などと呼ばれるのはこのことによります。

やがて、フランスの思想家ルソーの『エミール』の感化を受けた十次は、 木城町と西都市にまたがる茶臼原で「自然・労作」教育をしようと、 明治27年、岡山からの大移住を開始します。 児童や職員はもとより、建物も解体して茶臼原の地に再現し、そこで理想的な農村共同体を実現するつもりでした。

ところが、大正3年に十次は志半ばで倒れ、その事業はいったん閉じられます。

その後、昭和20年に太平洋戦争被災児救済を目的に再開。、『石井記念友愛社』が創設され、児童養護施設や保育園も運営されることになりました。当時の建物はそのまま残され、一角に建てられた資料館には十次の遺品や人間国宝の芹沢_介製作のステンドグラスも寄せられ、十次の偉業を伝えています。

現在の友愛社は、これらの歴史と理念を継承し、約50人の園生が生活する「友愛園」と友愛社が運営する七つの保育園、二つのデイサービス事業、石井十次の生涯と友愛社の歴史を記録する「石井十次資料館」などを中心に運営されており、また、それを支援する後援会「石井十次の会」があります。そして今年「茶臼原自然芸術館」(障害者就労継続支援型事業)が開館、自然布の染織と無農薬農業の実践を通して障害者の技能習得と自立を支援します。豊かな自然に抱かれた茶臼原の大地で、石井十次がめざした「福祉と芸術が融合した理想郷づくり」の夢の実現へ向けて石井記念友愛社の新しい歴史が刻まれてゆきます。

茶臼原自然芸術館・開館
     2009年5月15日

  社会福祉法人石井記念友愛社
   宮崎県木城町椎木644−1
TEL0983−32−2025FX0983−32−3916

茶臼原自然芸術館

「茶臼原自然芸術館」

                児嶋 草次郎

 11月から12月上旬にかけて、私は、大阪と東京という大都会のまん中に立つ機会に恵まれました。行く度にビルは高層化していき、街を歩いても都会人にはじきとばされそうになり、電車や地下鉄に乗っても無機質な臭いに息苦しくなります。それらの繁栄のエネルギーは、おそらく我々の住む田舎や外国から吸い上げているものなのでしょう。

 今まで我々の田舎人は、これらの都会の栄華にあこがれて、田舎にも不似合いな観光施設や文化施設を作ったりして来ましたが、それがどこも無残な姿と化しつつあります。そして今ようやく、地方の人々は田舎のやり方があるのだということに気づき始めていますー。

 私は今、あの反自然・人間的な都会文明に対抗して一つの計画を一所懸命イメージしています。それは「茶臼原自然芸術館(仮称)」の建設です。具体的には、障害者通所授産施設の立ち上げです。

 今年の4月「障害者自立支援法」が施行されました。知的、精神、身体の3障害が一元化され、「障害の有無にかかわらず国民が相互に人格と個性を尊重し安心して暮らすことのできる地域社会の実現に寄与する」(第一条)と、その目的をうたいあげています。福祉サービス利用料の負担増という厳しい現実はありますが、今後、障害者も、地域の中で就労自立をめざすという目標が明示されたのです。障害者の方々が地域の中で、障害を持つということで差別されたり逆に

甘やかされたりするようなことはなく、地域の人々と共生し合いながら、地域社会の発展のために協働し合っていく、そのような社会を実現しようという理念なのです。地域の中で生活するにとどまらず、就労をめざすというところに私は注目しています。その就労のための訓練校、教習所、学校が「障害者通所授産施設」ということができます。

 来年(2007)、石井十次が最初に児童一人を救い「岡山孤児院」を立ち上げ、宮崎のこの地に、理想郷作りを夢見て土地を求め始め(明治20年)てから、ちょうど120年目の年になります。また、再来年(2008年)は、武者小路実篤がこの地に理想郷「新しき村」作りを試み始めてから、ちょうど90年目の年になります。

 その節目に、ほんとうのノーマライゼーション(ソーシャルインクルージョン)を実現する。(それは、石井十次が描いていたものでもあります)ための拠点作りを試みるということになります。この木城町から西都市へかけてひろがる大地に、第三の理想郷作りをめざすと位置づけたいと思います。単なる一つの小さな福祉施設がポツンとできるにとどまるのではなく、地域へ町全体へと波及効果を充分に期待できるからであります。そして、きっと、他の障害者施設へとその輪は広がっていくことでしょう。

 石井記念友愛社は、石井十次や共に生き働いた職員・子ども達が守り築き上げた理念・生活文化・労作文化・自然環境を、戦後60年間、堀り起こしながらひたすら守ってきました。保育園の子ども達は、自然林の木の実や木の枝を使って、

あるいは羊の毛を使って、様々な作品作りを重ねて来ています。毎年収穫祭から

1224日頃まで、元教会のギャラリーで展示していますが、それらはどれもこの茶臼原の自然の結晶と言ってもよいすばらしい出来映えです。友愛園の子ども達は、一年を通して、有機野菜や米を作っていますし、木彫りの看板や張り子の面を作ってみたりしています。そのような文化が生き続けているのです。

 一方、56年前頃から、この理念・文化に共鳴する機織り染色家、木工芸家自然農家等がこの地に住み始めています。私はこの茶臼原に住む、子ども達の感性の育ちのために、何らかの良き刺激を与えて下さる人々だと思い受け入れてきました。

 石井記念友愛社の理念・文化・自然、この地に住む工芸家達の技術・知恵と障害者の方々に伝授する場、一緒に学び合う場、そしてそれぞれに職人として自立し働く場を建設し、それらの活動を通し、これからの地域社会作りに参加していただく、そのような新しい理想郷作りなのです。

 特に、機織り・染色をこの地に根づかせることを夢見ています。元園舎を改造して「空想ミュージアム」活動を高見乾司さんと一緒に行っている、横田康子さんの持つ技術力に私は期待しているのです。染色に関する知識や技術、そして機織りのそれは、日本のどこに出しても通用する高度なレベルのものでしょう。彼らが、ここへ来て、5年ほどにになりますが、私はずっと、その技術が文化としてこの地に根付く日を待ち続けてきました。

 機織りは、まず、その糸の材料(コウゾ、麻、クズ等)を山から収集する作業から始まります。染色も同じです。藍(あい)は畑で栽培しなければなりません。一つの作品が出来上がるまでに、色んな作業があり、障害者の方々がその人の能力や適性に応じて、それぞれの分担箇所で技術を習得していくことができます。

 先ほども書きましたように、この授産施設は通過点でしかありません。自動車の教習所で車の免許を取ったら、後は自分で運転するように、その技術を習得し自信をつけたら、自立≠キるのです。つまり、派生的にみんなで企業化し、健常者と一緒に職人として働いていただくのです。

 健常者の方々は、まずボランティアとして授産施設を支えていただき、その中で一緒に学ぶということができるでしょう。障害者の方々を側で支えていただきながら、一緒に技術を習得していただく、そして一緒に卒業≠オ、次に一緒に働く、それを何度か繰返していくうちに、この地の産業として育っていくに違いないと、私はイメージしているのです。やがてこの地が工芸の村として再生していくことでしょう。

 私がこのような構想を抱くに至ったのには一つのきっかけがあります。友愛園を卒園していった子ども達の中にも、知的障害児(者)がいるという現実です。昔はそういう児でも何とか自立していました。ここで厳しく生活習慣をたたきこまれ、また労作指導によって働くことの基本を身につけ、社会に巣立って行ったのです。ところが、最近では、そういう児が社会の欲望の餌食(えじき)になるようになったのです。ある児の場合、苦労して取得した自動車の免許証を持ってサラ金へ行き、友人のうまい口車に乗せられて借金をし、本人も見境がつかずにどんどん借金を重ね、結果的には200万以上になって、自己破産させねばなりませんでした。ケイタイ電話にはまりこんで借金を重ねた児もいます。色々と失敗を繰返して、大人の施設で生活している卒園生もいます。

 この広い石井記念友愛社の敷地の中に、そのような子ども達が安心して暮らせる場は作れないものか、そのことが私の課題であったのです。まず、通所施設を作り、この地で住む必要な障害者が56人と出て来たら、グループホームを作って、共同生活をしていただく。都会のように贅沢(ぜいたく)はできないかも知れないけど、安心して互いに助け合って暮らしていける。そういう生活は保障できます。

 私は、この「茶臼原自然芸術館」では、知的障害者だけではなく、精神障害者も身体障害者も三障害を越えて共に補い合いながら、学習・就労できる空間でありたいと考えています。それぞれの障害は、それぞれの個性である、それくらい互いに認め合える関係でありたいものです。健常者も含めて、その協働には色んな困難が伴うでしょう。しかし、その困難に立ち向かう勇気がなかったら、この夢の価値はありません。石井十次の名前を掲げてやる仕事に最初から限界があってはならないのです。これが実現した時、本当の障害者福祉だと言えるのだと思います。皆様、来年は、御支援・御協力、よろしくお願い致します。

 さて、具体的な計画です。来年度の石井記念友愛社の事業計画にきちんと掲げることから、行動は始まります。一番の問題は資金です。建築資金が5000万円ほどかかる予定です。その半分ほどは、寄付で集めたいと思います。そして、今回我が町木城町にできるだけの支援をお願いしたいと考えています。それは、木城町における、第三の理想郷作りであると位置づけているからです。常に理想を追い求めるのがこの木城町の風土です。これからもそうであってほしいと願っているのです。都会の真似ではなく、ほんとうにその土地の歴史・文化に根ざした事業こそが、この土地の人々に自信と誇りを育てていくのであると思っています。

20085月障害者と健常者に囲まれた純和風の建物が、石井記念友愛社の中に建っている姿が、今、はっきりと見えます。

グループホーム
  天命館

ショップ

農業
染めと織り・自然布

       理念
天は父なり人は同胞なれば
互いに相信じ相愛すべきこと
   〈石井十次の言葉〉

2007年は、石井十次が、最初に児童一人を救い、「岡山孤児院」を立ち上げ、宮崎のこの地に将来の理想郷づくりをもとめて土地を求め始めてからちょうど120年目の年にあたります。また、2008年は武者小路実篤がこの地に理想郷「新しき村」づくりを試み始めてから90年目の年になります。その節目の年に、この茶臼原台地に第三の理想郷づくりともいうべき「茶臼原自然芸術館」と「天命館」が開館しました。この二つの施設は、障害を持つ方々が染織と農業の技術を身につけることで、地域の中で「就労・自立」を実現することを目指しています。具体的には、茶臼原の豊かな自然の中から採集した素材から糸を採り、布を織り上げる「自然布」を中心とした染織作業と、有機農法を軸とした農業の実践です。障害を持った方々と健常者とが協働し、自らの秘めた力を掘り起こし、新しい地域文化の創造を実現することを目指します。石井十次がこの茶臼原大地に福祉の理想郷を描こうとしたように、これから、新しい「福祉と芸術と農業」をひとつにした理想郷づくりの挑戦が始まるのです。

       方針
   自然主義 健康をつくります
   家族主義 家族をまもります
   友愛主義 家庭をささえます

   到達目標
 友愛の地域社会つくり