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□石井十次資料館のページ□
| 石井十次の生涯 <1> 少年時代 ○誕生 石井十次は、1865年(慶応元年)4月11日、宮崎県高鍋町馬場原に生まれました。 父は万吉・母は乃婦子(のぶこ)といいます。 父親は高鍋藩の下級武士でしたが、当時は、男の子がいない家は取りつぶしとなりました。 そこで父は、木城町の比木神社に願をかけ、水をかぶり、寒さの中を 30日間、参り続けて男の子を授かるように祈りました。 こうして願いがかない、生まれたのが石井十次でした。 ![]() 現存する石井十次生家(高鍋町) ○勇気 父親は下級武士でしたが、明治になって藩制度がなくなると、県庁の職員となり、 溜池や水路を作る仕事に取り組みました。 まじめで芯の強い人だったといいます。 母親も近所で評判の働き者で、優しく、心のひろい人でした。 ![]() ◇エピソード<縄の帯> 十次が7才のころのことです。 村の祭りの日、母が新しく作ってくれた紬の帯をしめて出かけました。 すると、神社の境内で友だちの松ちゃんがほかの子どもたちにいじめられていました。 貧しくて、縄の帯を締めてきていたことをからかわれていたのです。 十次は勇気を出していじめをやめさせ、自分の紬の帯と 松ちゃんの縄の帯とを交換し、祭りを見に行くのです。 縄の帯を締めた十次は、家に帰ると怒られはしないかとびくびくしながら そのわけを母に話しました。すると、母は怒るどころか 「それは良いことをしましたね」 と優しく十次をほめたのです。 このエピソードは、その後の石井十次の生涯を語る上で 欠くことのできない話として語り継がれています。 ![]() 高鍋城址 ○立志 石井十次は、このような自分に厳しい父親、人に優しい母親に育てられながら、 4才から寺子屋に学び、6才から藩校明倫堂(後の島田学校)に入学、 一時宮崎へ転校しましたが、高鍋学校(元島田学校)を卒業しました。 高鍋藩は上杉鷹山ゆかりの文教の地で、十次はその気風も受け継いだのです。 14才の時、海軍士官を志し東京の攻玉社に入学しましたが、 翌年、脚気を患って高鍋に帰りました。 15才の時には、仲間4人と「五指社」という組を作り、 小丸川沿いの荒れ地の開墾を始めました。 ここにも後に茶臼原台地の開拓に挑む十次の片鱗がうかがえます。 ![]() 高鍋藩家老屋敷 (このページは、石井十次資料館「見学のしおり」をもとに作成中です) |

石井十次資料館は、石井記念友愛社の敷地の中にある施設で、石井十次の生涯とその足跡・記録等を保存・展示してある施設です。十次は、慶応元年(1865)宮崎県児湯郡上江村(現在の高鍋町)生まれ。15歳で海軍士官を志しますが、病気にかかり帰郷。16歳で結婚し上江小学校の教師となりました。半年後、警察署の書記になったものの難病を患い、診察を受けた医師に勧められて岡山の医学学校へ入学。診療所で実習している時、四国巡礼途上の母と子に出会い、その子供を預かったことをきっかけとして、児童救済事業に入っていきます。その事業は、収容児童が一時期1200人に達するなど、わが国で最初の本格的な孤児院でした。その後、木城町茶臼原に分院を設置し、開拓事業を開始するとともに岡山から児童たちを移住させました。資料館には、48歳で亡くなるまで社会福祉事業に身を捧げた十次関連の資料がぎっしりと詰まっており、来館者に感銘を与えています。
石井十次資料館

石井十次は、日本における福祉事業の先駆者です。慶応元年(1865)に高鍋町に生まれ、最初は岡山で医学を学んでいましたが、ある貧しい母子との出会いをきっかけに、23歳で本格的な児童救済事業を始めます。岡山孤児院を創設し「児童福祉の父」と呼ばれた十次の元には、一時は1200名もの子どもたちが保護されたといわれます。施設内には私立の小学校も開設され、ユニークな教育も行われました。石井十次が孤児救済の父・福祉の先駆者などと呼ばれるのはこのことによります。
やがて、フランスの思想家ルソーの『エミール』の感化を受けた十次は、 木城町と西都市にまたがる茶臼原で「自然・労作」教育をしようと、 明治27年、岡山からの大移住を開始します。
児童や職員はもとより、建物も解体して茶臼原の地に再現し、そこで理想的な農村共同体を実現するつもりでした。
ところが、大正3年に十次は志半ばで倒れ、その事業はいったん閉じられます。
その後、昭和20年に太平洋戦争被災児救済を目的に再開。、『石井記念友愛社』が創設され、児童養護施設や保育園も運営されることになりました。当時の建物はそのまま残され、一角に建てられた資料館には十次の遺品や人間国宝の芹沢_介製作のステンドグラスも寄せられ、十次の偉業を伝えています。
現在の友愛社は、これらの歴史と理念を継承し、約50人の園生が生活する「友愛園」と友愛社が運営する七つの保育園、二つのデイサービス事業、石井十次の生涯と友愛社の歴史を記録する「石井十次資料館」などを中心に運営されており、また、それを支援する後援会「石井十次の会」があります。そして今年「茶臼原自然芸術館」(障害者就労継続支援型事業)が開館、自然布の染織と無農薬農業の実践を通して障害者の技能習得と自立を支援します。豊かな自然に抱かれた茶臼原の大地で、石井十次がめざした「福祉と芸術が融合した理想郷づくり」の夢の実現へ向けて石井記念友愛社の新しい歴史が刻まれてゆきます。

社会福祉法人石井記念友愛社
宮崎県木城町椎木644−1
TEL0983−32−2025FX0983−32−3916
友愛社のあゆみ
理念
天は父なり人は同胞なれば
互いに相信じ相愛すべきこと
〈石井十次の言葉〉


石井十次年譜
石井十次の生涯



ゆうあい通信
石井記念友愛社の現・理事長児嶋草次郎のエッセイです。友愛社と茶臼原の日常が綴られます。


到達目標
友愛の地域社会つくり
方針
自然主義 健康をつくります
家族主義 家族をまもります
友愛主義 家庭をささえます