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<18>じゅうじ農園の麦



4月、じゅうじ農園の麦畑が、黄金色に染まりました。まさに「麦秋」の風景です。
大麦の種を播いたのは、去年の12月の初旬。種はすぐに芽を出し、
厳冬期、黒い土の上に青々とした列を描きます。
この時期、大切なのは、「麦踏み」。一列の麦の列を踏みしめ、踏みしめ、
畑一面の麦を踏みつけて、一日が過ぎるのです。
この作業によって、麦が霜柱から持ちあげられて根が枯れるのを防ぎます。
踏まれた麦は、すぐに立ちあがり、成長を続け、春先には立派な麦畑になるのです。




5月、麦の刈り取りが終わりました。収量は約120s。
それを干して精麦し、「押麦」に加工された最終収量は約70s。



500g入り小袋に小分けされて一袋500円で販売中。
提携先の販売店などに出荷する前に、かなりのスピードで売れているようです。




ある朝、普段とご飯の色が違うなあ、と思いながら、ひと口食べた時、
懐かしい味と香りが口中に広がりました。
それが、じゅうじ農園穫れの麦を使った「麦ごはん」の味だったのです。
戦後の一時期は、麦ごはんといえば貧しい食事の象徴のようにいわれたものですが、
いま、「麦ごはん」や「麦飯とろろ」は見事にその実力を認められ、
「こ馳走」といえる食物として復権したのです。


<17>「日向新しき村」を訪ねて



2月12日、茶臼原自然芸術館の農業研修として、木城町石河内にある「日向新しき村」を訪ねました。
 「日向新しき村」は、1918年(大正7年)武者小路実篤とその同志によって開村されました。
白樺派の中心的人物である武者小路は、当時石井十次が運営していた茶臼原の開拓地を訪ね、
そこから案内者の先導で木城の峠を越えて石河内に入り、ここに理想郷を築こうとしたのです。
 しかし、1938年の石河内ダム建設により、農地の大半が失われたため、埼玉県にその主力は移転。
最盛期には50人を越えた村民も第二次世界大戦後は、一世帯にまで減りますが、
実篤の前夫人房子氏によって村は守り続けられ、その後、松田省吾氏が入村して
その理念と活動を引き継ぎ、現在に至っています。



 石河内の集落を通り過ぎ、小丸川にかかる橋を渡って、急な山道を登り、
さらに山道を下ったところに「新しき村」があります。
途中に、梅林があり、満開の梅の花が山郷を飾っていました。村の入り口に車を止め、
村へと続く道を歩きます。武者小路実篤自筆による「日向新しき村」の石標と
樹齢百年ほどのくぬぎ林が来村者を迎えてくれます。冬田の向こうの梅の花も満開で、
まさにここは、桃源郷の趣きです。田んぼを仕切って放し飼いにされた豚たちに迎えられ、
村のはずれに建つ「武者小路実篤記念館」で村の歴史や白樺派ゆかりの作家の
著作・著書・絵画や彫刻などを見た後、松田さんからお話をうかがいました。

   
 「日向新しき村」を訪ねた日は、前日までの冷たい雨の降る天気とは違い、
早春の陽射しがやわらかく山里に降り注ぐ日でした。
 この日は、この新しき村の事業を引き継ぎ、40年間にわたって支えてきた
松田省吾氏のお話を聞く事ができました。松田さんは、村の田んぼに放し飼いにしてある
豚たちの中に混じって話をして下さいました。
 それによると、松田さんは、北海道生まれ。東京へ出て働きながら学んでいた時、
埼玉県の「新しき村」のことを知り、そこを訪ねたのが縁で、「日向新しき村」へ。
宮崎は、太陽の光があふれる別天地であり、理想郷のように感じられたといいます。
その時、松田さんは「この静かで美しい環境・自然の中に自分自身を置く」
ことを心がけようと決めたのです。それが26才の時で、以来、40年間、ここで暮らしてきました。
 ここでの生活は、稲、お茶、野菜などの栽培から家作りまで、ほとんどの作業を自力で行います。
田の用地は一町歩近くありますが、水は山の水をせき止めて引いて使います。
今は、豚を放牧していますが、この豚たちが、田んぼを耕したり、雑草を食べたり、
その糞が肥料になったりと、大いに役にたつのです。豚たちも不健康な状態で
ここに送られてきたものが健康になるなど、人になついて幸せにくらしています。
これらの「循環」が村の有機農業を支えてくれるのです。実際、話をする松田さんの足元には
豚が群がり、甘えています。途中から、通所者が、一人、二人と豚の群れの中に入りましたが、
豚たちは、まるで遊び仲間が来たような態度で迎えているのです。



 日向新しき村は、武者小路実篤が埼玉の第二新しき村へと転出した後、多い時には
50人ほどもいた住人も前夫人の房子氏が守るだけとなり、危機的な状況を迎えていましたが、
後を引き継いだ松田氏の地道な活動によって継続されてきました。そして今では、
住人が四人。時折訪ねてくる自然志向の若者や、社会から離脱を余儀なくされた人などが滞在し、
ここでの生活を体験して活力を取り戻し、また実社会へと帰っていく例が多いといいます。
松田さんは、そのような日々を「心が自然に喜ぶ生活」と表現し、「毎日が勉強であり、
毎日が新鮮」と言います。さらに、「生産物や生活の価値をお金に換算するのではなく、
自分を大事に、自分の心が楽しくなるように働くことで、他人や家族を
大切にできるようになる」ともいうのです。
 武者小路実篤がこの地に理想郷建設の夢を抱いた日からすでに百年が経過しましたが、
今、ここに新しき村の本来の精神が生き続けているように思えました。
 最後に、松田さんが作って下さった「豚汁」を御馳走になり、村を後にしました。少し前まで、
田んぼで遊びまわっていた新しき村の豚たちは、来村者の舌をとろかし、その甘みで驚かせ、
おおいに喜ばせました。そして皆の胃袋の中で、大往生をとげてくれたのです。

なお、豚汁の具は、前日、届けておいたじゅうじ農園の野菜でした。

  

<16>人参と「土」の話



「じゅうじ農園」でとれた人参を使って、指導員と通所者が一緒に、人参ジャムを作りました。
まず、人参をまっすぐたてに半分に切り、それを鍋に入れて、水を人参がひたひたにつかるぐらいに
入れて、やわらかくなるまで煮ます。次に、そのやわらかくなった人参をミキサーに入れ煮汁を
半分ぐらい入れて、ミキサーをかけます。この時、お箸で中身をかき混ぜます。とろりとなった
人参を鍋に入れて、煮ます。この時、キビ砂糖とレモンを加え、弱火でとろとろと30分ぐらい煮込みます。
これで、甘みと酸味と人参の味とが混ざり合って、美味しい人参ジャムの出来上がり。じゅうじ農園の
人参は、やわらかく、甘みがあって美味しい。まるで馬のように、ナマでバリバリ食べられるほどなのです。
この人参で作るジャムが美味しいのは当然。

 
 
そのうま味の秘密について農業指導員に聞きました。すると「土」ということばが、返ってきました。
すでにこのページの最初の方に記録してありますが、じゅうじ農園では、土づくりから始めて農薬
はもちろん、化学肥料、除草剤を一切使わず、丹念に、手間暇をかけて野菜を育てています。この
土地は、隣家の農家の方が7年間耕作を休んでいた土地を借り受けたものですが、その耕作を
しなかった間も手入れを続けていたため、良好な状態で土が保たれていたのです。しかも、
7年間という時間が、残留農薬を消去する役割を果たし、当初から有機栽培を可能とする土地と
なったのです。有機栽培と一口にいっても、すぐに荒れ地に種を蒔いたり、苗を植えたりしても
良い作物が採れるわけではありません。良い肥料を入れ、作物を作り、収穫し、その残りの葉や
野菜クズ、草や木の葉などを土の中に鋤き込み、有機物が分解を繰り返し、何年もそれを
くり返したうえで「良い畑」となるのです。農家の庭先の畑などは、この作業が何世代にもわたって
くり返されてきた有機栽培の土壌の見本といえるでしょう。
そのような、自家菜園や早くから有機栽培に取り組んできた農家の畑等の本格的な
「有機栽培の畑」にくらべると、じゆうじ農園の「土」はまだ「初期の段階」だといいます。
それでもこんなに美味しいのですから、今後が楽しみな農園なのです。

 

少量で実験した人参ジャムが好評だったので、今、大鍋でジャム作りをしています。
今度、宮崎市の大型店「イオン」で開催される企画展で販売される予定です。
お客さんの反響が楽しみです。


<15>冬の畑

2010年1月初旬、
九州にも久しぶりの大雪が降りました。九州山地・米良の山脈で遮られて、
宮崎平野一帯や茶臼原台地には降雪はありませんが、
米良颪の冷たい風が吹きつけてきます。
こんな日も「じゅうじ農園」では、作業が続けられています。
植えつけられた苗は厳しい冬を耐え抜き、春の芽吹きを待ちます。
収穫された野菜類は、宮崎市「ひむか村の宝箱」木城町「木城温泉・菜っぱ屋」
新富町「JA新富」で常設販売されていて、そこに届けられます。
その様子を、ブログ名「なりさん」が「ゆうあいブログじゅうじの森」
に載せたところ、大きな反響がありました。以下に転載します。



今日は朝から大寒波襲来
寒~い!
農場は特に大変!男性陣を中心に本当によくやってくださいます。

本日の農場の作業内容

AM10:00朝礼
キャベツ、サニーレタス播種
肥料蒔き
休憩・昼食
PM1:00から
野菜収穫
洗い、出荷準備
イカンテ袋づめ
出荷準備
PM3:40掃除、片づけ
終礼

これを寒風吹きすさぶ屋外で全部やるわけです。
しかも、黙々と。

なりさんそんな皆さんのひたむきな姿に
本当に頭が下がります。
そんな努力の末にできた美味しいお野菜
明日、宮崎市平和台「ひむか村の宝箱」の店頭に並びます。
ぜひお越しください。
お待ちしています。


<14>大根干し「イカンテ」を作る



寒風が霧島連山や米良山脈から吹き降ろしてくるころ、宮崎の平野部で大根干しをする風景が見られます。棚に組んだ竹に大量の大根を吊るし掛けして乾燥する田野の大根掛けが有名ですが、
各地の切干大根もこの季節ならではの風物詩です。
 茶臼原自然芸術館でも、「じゅうじ農園」で昨年から育ててきた大根を収穫し、薄く切って、
さらに両端を神楽の御幣のような形に切り分けて、干す方法で大根干しを行っています。
これを「イカンテ」と呼びます。その形状が、ちょうど港で水揚げされ、干されている烏賊の手によく似ているからです。薄くて白い大根に西日が当たり、透けて見える部分が輝いています。
これが夜のうちに凍り、また朝日が当たると浸みが解けて軟らかく光る。
これを繰り返して、美味しい大根干しが出来上がるのです。
 これをお湯でもどし、煮付けや酢の物などにしていただきます。
イカンテは杉の木立や庭先の木の枝などに干されていたりする、自家用の保存食です。

  

<13>泥付き大根を手土産に



 急に出かけることになり、福岡市の近郊にある知人の家に泊めていただくこととなりました。出発間際の慌ただしい時間の中で、「じゅうじ農園」に立ち寄り、畑から引き抜いたばかりの大根、ほうれん草、水菜などをビニール袋に放り込んで、車に積み、出かけました。畑の縁の雑木林で熟れていた野葡萄の房を添え、この一包みの泥つき野菜たちを一宿一飯のささやかな御礼としたのです。近所に大型スーパーがあり、欲しいものは何でも手に入る都会の人が、ことのほか喜んでくれたのがうれしく、楽しい一夜となりました。

 その夜は、宿の主人の心づくしの料理をいただき、夏から秋へかけてのヤマメ釣りの手柄話に花を咲かせました。翌朝の食卓には、じゅうじ農園採れのほうれん草と水菜がサラダに添えられ、自家製のヨーグルトの上には、野葡萄の粒々が散らされていました。さわやかな野の風が吹きわたったような朝食でした。


<12>じゅうじ農園の野菜はうまい



 夏から秋にかけて種をまき、植え付けておいた野菜たちが収穫期を迎え、じゅうじ農園のスタッフは、とり入れに大忙しです。二週間余りの東京滞在を終えて帰ってきた筆者は、この収穫したばかりの新鮮な野菜を食べるのが、なによりの楽しみです。東京では、行く先々に美味しい食物があり、それぞれ、工夫をこらした調理で飽きさせないのですが、やはり、太陽を一杯に浴び、丹念に作られた「土」で育った野菜の味は、格別です。大量に消費される東京の野菜は、多くがハウス栽培で、太陽の光も浴びず、土も水も栄養も管理された状態で育てられるものが大半なので、極言すれば、ダイコンもハクサイもニンジンもゴボウも同じような味がするのです。「土の上」で育った野菜たちが、野菜本来の味を持つのは当然のことといえるでしょう。 ちなみに、昨日の食膳には、まずカブ、コマツナ、ニンジンの白和え。やわらかく、やさしい味が、嬉しい。次に、イワシのすり身の吸い物。ミズナと薄く切ったダイコンの入っており、ミズナにほのかな香りがあって、スープの味を深くしてくれている。染め付けの小皿には、ハヤトウリとニンジンの味噌漬けとカブの酢漬け。新米のご飯に有明海産のイリアミを乗せ、醤油をさっと一振りして、いただく。いずれも、単純素朴な調理法ですが、素材本来の味が互いに引き立てあい、助け合って、絶妙の味わいを響かせる。九州に生まれ、宮崎に暮し、仲間たちが丹精を込めて育てた野菜を食べることのできる幸せをしみじみと感じた食卓でした。

〈11〉秋から冬へ
収穫・種蒔き・植え付け



秋の「じゅうじ農園」は、取り入れの真っ最中です。夏に種を蒔き、植え付けて置いた野菜達が、収穫の時期を迎えたのです。サトイモ、遅蒔きのキュウリ、コマツナ、チンゲンサイ、小カブ、ダイコン葉、ルッコラ。たっぷりと夏の太陽を浴びた野菜は甘みを帯びて美味。
なかでも、ルッコラはお勧め。ハーブの仲間でイタリア料理やサラダなどに使われる葉物野菜で、食べるとゴマの香りがして、カイワレダイコンのような辛味がある。昔、西洋では強精効果があるとか、「惚れ薬」と言われて珍重された時期があるともいいます。紳士・淑女はお試しあれ。


種まき・植え付けは、ブロッコリー、ハクサイ、レタス、キャベツ、ホウレンソウ、コネギ、ニンジンダイコンタマネギ、ジャガイモなど。ごらんの通りの「多品目栽培」です。作業に携わる通所者の皆さんの持ち味が、野菜づくりにも反映されます寒さが厳しくなる冬へ向かって、広い農園から個性的な野菜たちが育ってゆきます。


〈10〉里芋畑で転んだら



「じゅうじ農園」の芋畑は、大きく育ったサトイモたちが一杯に葉を広げています。ある日、芋畑に入り込んで撮影をしていたら、芋の畝に後ろ足が引っ掛かって、ごろん、と仰向けに倒れてしまいました。するとそこには、見たこともない熱帯のジャングルのような光景が広がり、真上には真っ青な空があって、まるで自分が、森の小さな妖精にでもなったような気がしたのです。その時いっせいに女の人たちの笑い声が響きました。サトイモの収穫をしていた通所者の女性たちが、畑の中に迷い込んだかのようなカメラマンの頼りない足取りと、転んだ場面を見ていたのです。収穫の日は、楽しいお祭りのような、心はずむ一日でもあるのです。



サトイモは、東南アジアが原産といわれ、サツマイモ・ジャガイモと並んでイモ類を代表する栽培植物。日本には縄文時代には伝わっていたといわれています。熱帯アジアではタロイモを主食とする地域もあり、世界的にも芋を主食とする地域は多いのです。栽培も比較的容易であることから、古くは焼畑の主力作物であり、現在でも、畑作、水田などで広く栽培されています。親芋に寄り添うように取り巻く子芋や孫芋をもぎ取り収穫します。とれ立てのものを茹でて塩をつけて食べる。芋の甘みとぬめりと、ほくほくとした食感がたまらない。芋煮や神楽の里で出される煮しめも絶品。地味な外観から、「洗練されていない」「田舎くさい」などの形容詞として使われますが、庶民の味覚であり、実力のあるサトイモに対して失礼な表現というべきでしょう。




<9>オクラは南の旅人



朝、「じゅうじ農園」に行くと、大輪の黄色い花が咲いています。まるで南の国のお花畑から運ばれてきたようなこの花が、オクラの花なのです。背は高く、90センチ〜1メートル近くまで成長しますが、その実は、トウガラシを大きくした程度の可愛らしいものです。切ると、切り口が星型になるところがまた可愛いのですが、食べるとぬるりとしたぬめりがあって、意表をつかれる。外見からは想像もできない不思議な味なのです。オクラは、明治初期に日本に入ってきた作物のようですが、原産地はアフリカ北東部で、熱帯から温帯へかけてさかんに栽培されていたといいます。エジプトでは、紀元前頃にはすでに栽培されていたようです。アメリカ大陸へは、西アフリカから移住させられた奴隷によって運ばれました。現在でも、アメリカ合衆国南部や西インド諸島、ブラジルなどアフリカ系移民の多い地域でよく栽培されていることが、それを示しているといいます。本来、熱帯では多年草ですが、寒さに弱く日本では霜で枯れてしまうため、一年草となっています。オクラは、まさしく南の旅人と言うべき食材でしょう。夏の暑い日に、酢のものや和え物にして食べると、すっきりして元気が出るように感じられるのは、豊富なビタミン類、ミネラル・カルシウム・カリウムなどを含み、独特のぬめりがコレステロールを減らす効果を持っているからでしょう。



<これは楽しい、オクラの食べ方いろいろ>

オクラの調理法を調べてみると、地域色や独特のアレンジの仕方があって、じつに楽しい。
まず、日本では、
オーソドックスな酢のもの、和え物の他、すりおろしてトロロの代用、スープや天ぷら
などがあります。さっと茹でて小口切りにして醤油と鰹節をかけて食べても美味しい。
伊豆諸島では「ネリ」といってキュウリのように生のまままたは茹でて味噌を付けて食べます。
ソースやケチャップの原材料として使われるというのはあまり知られていませんが、意外な用途。
種子を煎じてコーヒーの代用品として飲まれた歴史もあるそうな。
インド・パキスタン・西インド諸島などには
輪切りにして豆の粉と一緒に炒める料理や、
炒めたオクラをヨーグルトで和えて油で炒め、香辛料で香りを付ける料理法
輪切りにしてトマトや肉と煮込み、ご飯にかけて食べるなどの食べ方があるといいます。
ベトナムでは
大ぶりのオクラをスライスしてヤギ肉と一緒に焼いて食べる。
アメリカ合衆国では、
「ぬめり」が嫌われる傾向があり、ピクルスやベーコンと一緒にピラフの具に使われたりするほか、
煮込み料理のとろみ付けやスープなどに利用されるようです。
楽しいオクラの食べ方の旅でした。
(この項はインターネット辞典「ウィキペディア」を参照しました)

追記
いつか、オクラと納豆と根昆布とネギの根をみじん切りにしたものを混ぜた「ぬめり尽くし」を食べてみたいと思っています。味付けは酢醤油であっさり。また、あの黄色い花びらを天ぷらにしても美味いかも、とひそかに思う。花びらをホワイトリカーに漬け込んだ「花酒」も試してみる価値あり、ですね。実現のを日楽しみに。



<8>ミニトマトはフォルクローレの香り



トマトがナス科の植物であるとは、なるほどそうか、と思う反面、信じられない思いも交錯します。もともと、トマトはメキシコに上陸からスペイン人が持ち帰り、ヨーロッパから世界へと食材として広まったものといわれます。メキシコの大地やアンデスの山地で、現地の人たちが「果物」として食用としていたものが、200年の実験と開発の経過を経て、「野菜」として食卓に普及したのです。色は赤だけでなく、ピンク、青、緑のトマトもあるとのこと。最初にトマトを見たヨーロッパ人は、その強烈な赤を有毒とみたそうですが、イタリア料理や韓国料理などには欠かせない食材となったのです。大きさによって太玉・中玉・ミニトマトに分類されています。

「じゅうじ農園」では、ビニールハウスでミニトマトを栽培しています。30年ほど前、はじめてミニトマトを見た時には、(どうせ、遺伝子組み換えで作った偽物野菜じゃろ)と思い、しばらくは口にしなかったものですが、友人の結婚披露宴で何気なく口にしたら、その凝縮したトマトの味―いってみれば原トマトの味―といった濃い味に驚き、この果物とも野菜ともつかぬちっぽけな食べ物のことをのことを見直した思い出があります。
夏の暑い日、写真撮影のために入ったビニールハウスで、ひとつだけ失敬して食べたミニトマトは、甘くて香りが高くて、美味。リズミカルで明るくて、哀愁を秘めた中南米の音楽・フォルクローレが聞こえてきたような気がしたものです。ミニトマトの栽培については、このホームページ「ゆうあい通信」の中の「共生」のページをご覧ください。友愛社理事長・児嶋草次郎の、ビニールハウスを宇宙船に見立てた名文が載っています。



<7>曲ったキュウリが好き



タイ・ラオス・ミャンマーの国境、黄金の三角地帯と呼ばれ、かつては麻薬の栽培地帯だった地域を訪ねた旅の事を思いだしています。タイの三月、水かけ祭りの行われるころは、日本の真夏をはるかに上回る暑さで、密林を象に乗って通り過ぎ、峠を越えた山の村を訪ねた帰りに、脱水症状と熱射病と持病の慢性すい臓炎が合併症状となってあらわれ、ダウン寸前になっていた時、川辺で客待ちをしていた渡し船の船頭が手渡してくれた瓜と胡瓜と西瓜の雑種のような果物に助けられた思い出です。その果物の美味しかったこと。

さて、わが「じゅうじ農園」では、キュウリを土の上に敷いた藁の上で栽培しています。一般に見られる竹で組んだキュウリ棚に蔓を這わせる栽培法と違って、キュウリの蔓はのびのびと地面を這い、黄色い花を咲かせて、やがて青々とした実を実らせます。だから、この農園のキュウリは、小ぶりで、曲がっていて、みるからに昔風な「胡瓜」といった風合いなのです。そういえば、キュウリは「胡瓜」と書くように、シルクロードを経て、はるか西方の「胡」の国から我が国にもたらされた渡来植物なのです。原産地はインド北部・ヒマラヤ山麓といわれます。日本では平安時代から栽培されているなじみ深い作物です。「木瓜」あるいは「黄瓜」とも書くように、もともとは黄色く売れたものを食べていたようですが、時代が下るにつれ、甘みがあって見た目も美しい青いキュウリを食べるようになったのです。近年、わざわざまっすぐに伸ばすという栽培法もあるようですが、千年という時間のなかで、食べ方も姿も、変化してしまったのが「胡瓜→キュウリ」ということでしょうか。

曲がったキュウリや大きくなってやや黄色みを帯びたキュウリも好き。あの大きなキュウリを薄切りにして、塩で揉んで食べる。土の畑と太陽の匂いがする。大きめに切って、「瓜」のように食べると、それは、あの
ジアの国境地帯で食べた果物のように、たっぷりと水分を含んで、夏の疲れた身体を癒してくれるのです。



<6>ナスの話



秋風が吹く季節になっても、まだナスの収穫が続いています。収穫量は多くはないが、これがまた美味い。ちなみに、
「秋茄子は嫁に喰わすな」の俗言には、
「憎らしい嫁にこの美味しいものを食わせるな」という嫁いびり説、
「ナスは身体を冷やし、嫁の子種が尽きるから」という嫁大事説、
「新酒の酒粕に漬けておいたナスをネズミに(嫁に)喰われるな」という保存食説の三説がありますが、
いずれもナスの美味しさを表現したものであることにはちがいないようです。

ナスの植え付けは、5月末から6月初め頃。6月末には花が咲き、7月からは収穫できる。夏の暑い盛りに、薄く切ったナスを塩もみにして、食べる。冷やしたそうめんがあれば、なお良い。身体を涼しくしてくれる食べ物の筆頭といえるでしょう。ナスの原産地はインド東部といわれます。これが、平安時代ごろ日本に伝わり、代表的な食材となりました。ナスの花は、桔梗の花びらに似た紫色の美しい花弁が黄色の蕊を中心にして、清楚な姿をみせます。この可愛らしい花とあの濃い紫の実とが結びつくとは思えないほどですが、「親の小言と茄子の花は千に一つの無駄もない」といわれるとおり、見事に実を結びます。8月に剪定し、再び花を付け、実を結んだものを「秋ナス」として収穫します。秋のナスは、味噌炒めや煮付けなど、やや濃いめの味付けが合いますね。「じゅうじ農園」のナスは少し小ぶりですが、ほのかな甘みさえあって佳品です。




〈5〉キャベツ畑で展開されたこと




科学肥料・農薬を使わずに栽培する野菜畑は、自然界の虫たちにとっては、生命を脅かされることのない楽園であり、「安心・安全」な食卓となります。とくに、キャベツ畑の上は、モンシロチョウたちが飛び回る童話の世界です。この牧歌的風景は、通所者とスタッフにとっては、悪戦苦闘の修羅場となります。モンシロチョウが産みつけた卵は、たちまち孵化し、「青虫」となって、葉を穴だらけにし、放置すれば、育ち始めたキャベツをたちまち食べ尽くしてしまうのです。穴の開いたキャベツは、もちろん商品にはなりません。スタッフは早起きをして朝から虫取りに励み、さらに、通所者が出所してきてからもまた虫取りが始まります。

この青虫は、スタッフの一人がヤマメ釣りの餌として活用し、目覚ましい釣果を上げて、一日、奮闘を続けるスタッフがヤマメ料理を振る舞われるという幸運にも接しましたが、この程度で虫たちの増殖を抑止することはできません。連日の虫取り作業は続きます。ところが、キャベツが成長するにつれて、ある現象が表れてきたことに気付きました。成長度の弱いキャベツに虫が集中すること、キャベツの外側の葉に多く虫が付くこと、などです。どうやらこれが自然界の法則のようで、キャベツたちには、外側の葉や、一群の中の弱い生体を犠牲にして、生命力の強い個体だけが生き残ろうとする「力=作用」がはたらいているようです。

キャベツは、次第に芯の部分をしっかりと巻き込み、成長してゆきます。収穫した芯の部分は、小粒でしたが、葉っぱをむしって生で食べると、甘く、美味しく、これこそが「自然の味」だと実感させられたのです。


〈4〉はじめての収穫



肥料を施し、土を作り、種を撒き、育ててきた野菜が、始めて収穫の時期を迎えました。間引きをした小さなダイコン、シュンギク、ミズナ。とくにミズナは、これまで、味はほとんどないに等しいと思われていた野菜ですが、そのみずみずしい味わいに、皆、感動。これこそ、「土の味」であり、「太陽の味」であり、「野菜そのものの味」でした。


〈3〉農業・化学肥料を使わない野菜作り


@土作り
茶臼原自然芸術館の農場では、大島さんの有機肥料をベースに、EM菌や線虫予防のための椿油カス(中国産)を混ぜながら、農薬・化学肥料を使わずに野菜作りを行っています。


A芽吹き。
黒々とした土から、小さな芽が出て、若芽として育ち始め、やがて立派な野菜へと成長しいてく過程は、見ていて楽しく、収穫への期待が膨らみます。


B育てる
広い農場の野菜を育てる作業は、根気のいる仕事です。当館では、通所者の方がその力を発揮します。丁寧に、草取りや水撒きなどの作業をこなしてゆきます。


C収穫
成長した野菜を収穫する喜びは格別です。収穫された野菜は、石井記念友愛社が運営する六つのの保育園に納入され、子どもたちに提供されるほか、当館受付、近隣の直売所などの施設でも販売されます。



〈2〉大島さんの有機肥料作り

広大な友愛社の森の一角で、大島さんが有機肥料作りを行っています。大島さんは、お祖父さんが、石井十次とともにこの土地に移り住んで来た開拓の第一世代の方で、お父さんは、肥育や農業をしてこの土地で暮らしてきました。大島さんは、お父さんの後を継いで牛を飼う仕事をしていましたが、2年前、現代の農業と肥料作りの大切さを感じて、有機肥料作りを開始しました。

まず、搬入されてきた牛糞と豚糞、鶏糞を70:15:15の割合で混ぜ合わせ、下部に空気を送り込みます(エアレーション)。この時期、糞の温度は摂氏80度にもなります。これを2週間続け、冷却期間を2週間置いて、切り返し(上下を入れ替える作業)を行い、続けて2週間空気を送り込みます。これを2回繰り返します。この工程が合計2ヶ月かかります。

次に、肥料を別の場所に運び切り返しを行いながら、約6ヶ月以上保管します。これによって、牛糞・豚糞・鶏糞の匂いも消え、さらさらとした手触りの有機肥料が出来上がります。これを袋詰めして、出荷します。

こうして、大島さんが8ヶ月以上をかけて作り上げた有機肥料を、茶臼原自然芸術館の農場では使っています。もともとの豊かな土壌と、ふりそそぐ宮崎の太陽、そして大島さんの有機肥料などが、みずみずしく美味しい野菜を育てるのです。

〈1〉土地
茶臼原自然芸術館の農場は、館に隣接する農家から借り受けた農地で、約7000平方メートルの広さがあり、約7年間休ませていた土地です。肥沃な土地に植えつけられた野菜たちが育っていきます。


 
     

じゅうじ農園(茶臼原自然芸術館の農業)
2「茶臼原自然芸術館」では、館のすぐ裏手にある農地で、野菜作りを始めています。豊かな自然に抱かれた茶臼原の大地で、
減農薬・有機農法を基本とした野菜づくりを目指して、通所者とボランティアの皆さん、スタッフとが協働して
丹精を込めて栽培していのるのです。石井十次にちなみ「じゅうじ農園」と名付けられたこの農園の、
黒々とした土から、可愛らしい芽
が出て、たっぷりと南国の太陽を浴びて成長します。これまでに、
ホウレンソウ、ミズナ、シュンギク、ダイコン、ジャガイモ、ミニトマト、キャベツ、ナスなどを出荷しました。
「太陽の香り」土の味、野菜本来の味がする」などとうれしい評価を頂いています。

  

石井記念友愛社

   茶臼原自然芸術館    じゅうじ農園      
            


2007年は、石井十次が、最初に児童一人を救い、「岡山孤児院」を立ち上げ、宮崎のこの地に将来の理想郷づくりをもとめて土地を求め始めてからちょうど120年目の年にあたります。また、2008年は武者小路実篤がこの地に理想郷「新しき村」づくりを試み始めてから90年目の年になります。その節目の年に、この茶臼原台地に第三の理想郷づくりともいうべき「茶臼原自然芸術館」と「天命館」が開館しました。この二つの施設は、障害を持つ方々が染織と農業の技術を身につけることで、地域の中で「就労・自立」を実現することを目指しています。具体的には、茶臼原の豊かな自然の中から採集した素材から糸を採り、布を織り上げる「自然布」を中心とした染織作業と、有機農法を軸とした農業を実践する「じゅうじ農園」です。障害を持った方々と健常者とが協働し、自らの秘めた力を掘り起こし、新しい地域文化の創造を実現することを目指します。石井十次が、
この茶臼原大地に福祉の理想郷を描こうとしたように、これから、新しい「福祉と芸術と農業」をひとつにした理想郷づくりの挑戦が始まるのです。


       染めと織り・自然布        ショップ           

石井十次は、日本における福祉事業の先駆者です。慶応元年(1865)に高鍋町に生まれ、最初は岡山で医学を学んでいましたが、ある貧しい母子との出会いをきっかけに、23歳で本格的な児童救済事業を始めます。岡山孤児院を創設し「児童福祉の父」と呼ばれた十次の元には、一時は1200名もの子どもたちが保護されたといわれます。施設内には私立の小学校も開設され、ユニークな教育も行われました。石井十次が孤児救済の父・福祉の先駆者などと呼ばれるのはこのことによります。

やがて、フランスの思想家ルソーの『エミール』の感化を受けた十次は、 木城町と西都市にまたがる茶臼原で「自然・労作」教育をしようと、 明治27年、岡山からの大移住を開始します。 児童や職員はもとより、建物も解体して茶臼原の地に再現し、そこで理想的な農村共同体を実現するつもりでした。

ところが、大正3年に十次は志半ばで倒れ、その事業はいったん閉じられます。

その後、昭和20年に太平洋戦争被災児救済を目的に再開。、『石井記念友愛社』が創設され、児童養護施設や保育園も運営されることになりました。当時の建物はそのまま残され、一角に建てられた資料館には十次の遺品や人間国宝の芹沢_介製作のステンドグラスも寄せられ、十次の偉業を伝えています。

現在の友愛社は、これらの歴史と理念を継承し、約50人の園生が生活する「友愛園」と友愛社が運営する七つの保育園、二つのデイサービス事業、石井十次の生涯と友愛社の歴史を記録する「石井十次資料館」などを中心に運営されており、また、それを支援する後援会「石井十次の会」があります。そして今年「茶臼原自然芸術館」(障害者就労継続支援型事業)が開館、自然布の染織と無農薬農業の実践を通して障害者の技能習得と自立を支援します。豊かな自然に抱かれた茶臼原の大地で、石井十次がめざした「福祉と芸術が融合した理想郷づくり」の夢の実現へ向けて石井記念友愛社の新しい歴史が刻まれてゆきます。

  社会福祉法人石井記念友愛社
   宮崎県木城町椎木644−1
TEL0983−32−2025FX0983−32−3916

       理念
天は父なり人は同胞なれば
互いに相信じ相愛すべきこと
   〈石井十次の言葉〉

   ゆうあい通信
石井記念友愛社の現・理事長児嶋草次郎のエッセイです。友愛社と茶臼原のの日常が綴られます。

       方針
   自然主義 健康をつくります
   家族主義 家族をまもります
   友愛主義 家庭をささえます

   到達目標
 友愛の地域社会つくり