友愛社ホームページ
  じゅうじの森
◇祈りの丘空想ギャラリーのページ◇

INDEX

トップページ

ゆうあい通信


石井記念友愛園

石井記念友隣園

 石井十次資料館

石井十次の本

石井十次墓地

石井十次の会

 茶臼原自然芸術館

じゅうじ農園

自然布

自然布
ワークショップ


森の草木染めワークショップ

障害者共同生活援助介護事業所 天命館

のゆり保育園

ひかり保育園

やまばと保育園

十文字保育園

明倫保育園

にっしん保育園

  じゅうじの家
デイサービスセンター

小規模児童養護施設
 
じゅうじの家


こひつじ保育園

こひつじ
デイサービスセンター

祈りの丘空想ギャラリー

森の空想ミュージアム/九州民俗仮面美術館

茶臼原の森で

ゆうあいショップ

映画・石井のお父
さんありがとう


ゆうあいブログ

リンク集

森の空想コレクションによる
「静かな時」
2010年1月5日-3月31日



 森に静かな時間が流れています。新しい年を迎えての展示替えもまた楽しみなものです。
倉庫の中や廊下の片隅、天井裏、収納箱の中などから、あれこれと取り出して眺め、壁面に立てかけたり、
また並べ替えたりしながら、空間を構成してゆきます。
壁面が埋め尽くされるころ、ギャラリーの空間に作品たちが醸し出す「時間」が現出します。
それは、それぞれの作品が持つ性格やエネルギー、作者の作品に込めた情熱などが、
立ち上がり、漂い流れて、空間内に充満するからなのでしょう。
それを観る「私」も、作品との出会いの場面や作家との交流・交友の記憶などがよみがえり、
気持ちが静まったり、波立ったりしながら、「その日・その時」の心情を映し出し、作品と交感しているのです。
また、作者とも集めた人間とも無関係な人も一枚の絵の前に立つと、それぞれに感動や衝動を得る。
「絵を観る」という行為は、なんと不可解で不思議な行為なのでしょう。
今季は、静かに流れる早春の「時」の中で、一枚一枚の絵に対する感想や絵の来歴などを語れれば、と思っています。



現在、谷川晃一「人間になった犬」(アクリル)、宮迫千鶴「日曜日の午後」(パステル)、木内克「横たわる裸婦」(鉛筆。淡彩)、
四谷十三男「抱擁」(ペン)、瑛九「森へ」(エッチング)、料治幸子「ダンス」(コンテ)などを展示しています。
これらの作品は、当ギャラリーの企画・運営を担当している高見が
「旧・由布院空想の森美術館」(大分県由布市湯布院町1986-2001)
を運営していたころに集めたものと、この「祈りの丘空想ギャラリー」開設後に
企画展や滞在制作を行って下さった作家からご寄贈いただいた作品です。
会期中、展示替えも行います。お気軽にお立ち寄り下さい。



市村修「スペインの白い教会」(F6号・油彩)
 
  宮迫千鶴「日曜日の畑」(F6号・パステル)


市村修氏は、岩手県出身の画家で、たびたびスペインを訪れて、長期間滞在し、
絵を描き続けた画家ですが、数年前にお亡くなりになったらしい。。
カビレイラ村という白と青を基調とした村では、なかり長い期間その村に住み続けながら描いていたといいます。
氏の絵にほれ込んだ現地のコレクターや、通りがかりに出会った日本人の旅行者との交流などが
断片的に記録されていますが、今のところ、市村氏に関する情報は乏しい。
ただ、市村氏の絵が、宮崎の地の、遠くに米良の山脈を望む古い教会を改装したギャラリーに
違和感なく収まっているのはうれしいことです。


 *

宮迫千鶴氏は、広島県呉市出身。1984年エッセイ集『超少女へ』で注目され、
上野千鶴子との対談を刊行、絵のほかに多くの女性論などのエッセイを刊行し、女性論をリードしました。
オカルト、スピリチュアルへの関心が一貫し、自然と人間の関わりについても考察を続けましたが、
2008年6月19日、リンパ腫のため死去。惜しまれて天上世界へと旅立ちました。
夫は画家で美術評論家の谷川晃一氏。東京から伊豆高原に転居し、谷川氏とともに
「伊豆高原アートフェスティバル」を開催、「中央から地方へ」と移行するアートシーンのさきがけ的企画を展開しました。
伊豆高原のアトリエでは、パステルやコラージュを多用した日常風景・心象風景を描き、
多くのファンを獲得しました。この「日曜日の畑」も宮迫さんの穏やかで暖かな心象がよく描きだされています。
そして、「祈りの丘空想ギャラリー」の西方に広がる茶臼原の農地、さらにその向こうに霞む
米良山脈・九州脊梁山地の山並みの夕焼けなどもまた、この絵と響き合っているかにみえるのです。



ヤロスラヴァ・シッコ「手」(陶)

祈りの丘空想ギャラリーの正面の壁面に、一点の「陶」の作品が展示されています。
 不規則な円盤に、かすかな文様が刻まれ、その円盤の両端から手が差し出された作品です。
その手の上部には、小さな十字架。そして十字架の真上には、八角形の窓があり、
その窓には細い裂け目のような明り取りがあって、午後には西陽が、夕刻には夕焼け色の光が射し込んできます。
 このギャラリー空間は、かつて石井十次とその仲間たちが祈りを捧げた教会で、
20年ぐらい使われていなかったものを改装して使用しています。その改装の時、
友愛社の児嶋草二郎理事長(石井十次の曾孫)がこの室内空間を「子宮」に見立て、
窓や壁面などに様々な工夫をこらしました。東側(正面)の入り口からは朝日が差し込み、
女性器の形状をしている西側の窓からは夕日が入る。南北の壁には、
生誕から臨終までの人間の一生を表すタペストリーがはめ込まれています。
これにより、室内空間そのものが母の胎内空間となり、やわらかく、暖かく来場者を包みこむのです。
 一条の光線は、ギャラリーの床に時間の経過を描いてゆき、静かに夜を迎えます。
 「手」の作者はスロバキアのアーティストヤロスラヴァ・シッコ氏。
2008年夏から秋へかけて日向国際彫刻展の招待作家として宮崎を訪れ、
その縁で友愛社・茶臼原に滞在し、制作を行いました。また、近所の子どもたちやのゆり保育園の園児たちを招いて、
ワークショップやアートセラピーなども行いました。そしてこの作品を当ギャラリーあてにご寄贈くださったのです。
これもまた、この空間にふさわしい作品のひとつとなり、今日も静かに来場者と対話しているのです。。


天と自然への感謝展
―五つの保育園のこどもたちによる作品展― 

 2009年11月23日-12月24日

石井記念友愛社が運営する五つの保育園の園児たちによる作品展です。
「のゆり保育園」は、園で飼っているネネちゃんとミミちゃんという二頭のひつじの毛を刈り取り、
フェルトのひざ掛けやリーフ、壁掛けなど、盛りだくさんの作品に仕上げました。
木の葉やドライフラワーをしつらえたリースや松ぼっくりの小人も可愛く出来ました。
「ひかり保育園」は「日本の祭り」をテーマに、岩戸太鼓をたたく子どもたち、七福神やみこし、
まといを振る人、チャグチャグ馬っこ、花傘踊り、竿燈などを見事に再現しました。このテーマは、
運動会や収穫感謝祭のイベントなど、一年を通じた園のテーマとして取り組まれました。
「十文字保育園」の作品は、高い天井から紐と漁網が下がり、それに木の実や松ぽっくり、
綿の花、ドライフラワーなどが取り付けられている木の枝のガクブチに
子どもたちの写真が飾られて、壁面一杯を飾っています。
「やまばと保育園」は、園で取り組んだ陶器の小皿や鉢、草花のドライフラワーが入った和紙のポット、
床にはドングリや松ぼっくりで作られたリースや可愛い人形たちなどが並び、
こどもたちの笑顔の写真が添えられています。
「めいりん保育園」は高鍋の海とウミガメの産卵をテーマに、大ガメ小ガメやウニ、カニ、貝がらなどが
配置され、波にはクラゲやサーフィンをする人などが浮かび、
空には和紙のカモメがゆうゆうと飛んでいます。
いずれの園も、身近な自然から得られる素材を利用し、園の日常生活から得られるテーマを
設定して、指導者と子どもたちとが一体となった作品を作りだし、
展覧会全体を通じて温かなメルヘンの世界を描き出しています。













[ノートから]古い教会を改装した「祈りの丘空想ギャラリー」には小さな雑記帳が置いてあります。
          訪れた人が感想やメッセージを寄せて下さり、企画者やこのギャラリーをたびだび訪
          れる人などとの交流がうまれています。
□「黒の余韻」展にて
・黒色だけでかいた絵も「うすいところ、こゆいところ」などあって、げいじゅつです。(近所の小学生の感想)
・どうしてがくぶちより絵のほうが小さいのかが、ふしぎです。でもどの絵も上手です。(近所の小学生)
・それはね、「白の空間・黒の空間」(せんもん的には、間<ま>とか余白<よはく>などといいます)を大事にしたいと考えたからです。昔から日本には、広いびょうぶ(屏風)に小さい絵を張る、という表現様式があります。
空間のとのかたもまた芸術表現なのです。(企画者からの回答)
・こういう空間、大好きです。今、雨がふっています。椅子に座ると見える芝生と彫刻、最高!(岡山県倉敷市から来た人)
・愛犬を連れて何度も何度も訪れた場所です。
愛犬は、2年間、肝臓ガンと闘い、そして先日死にました。ようやくこの場所を訪れる気になりました。とても心安らぐ場所です。 
黒と白の絵・・・和的であり、洋でもあり・・・そして色が見える。
心静かに見つめていられる絵ですね。ありがとう。(宮崎市より、二人連れ)


増田常徳展
2009年4月開催

増田常徳作石井十次像




  常徳作「石井十次」 児嶋草次郎

 芸術とは一体何なのだろう。そんな原初的な問いかけの前に、今立たされています。それはなぜか心地よく、
「なぜ気持ちよいの?」とさらに自らに問うても答えは出て来ないのですが、
おそらく、自分の中の眠る感性の一部を自覚めさせられているからなのだろうと、勝手に想像したりしています。

 画家の増田常徳氏が、石井十次の肖像画を描いて下さり、私は、その絵の前で心の奥底から湧き起こる感動をおぼえ、やがてそれは、勇気と希望へと除々に変質していきました。まるで、白色だったポピーの花が数時間後にピンク色に変化するようにです。否、別の表現をするならば、暗くてザラザラだった心の世界に、どこからかほのかな明かりがさしこんで来たかのようにです。

 高鍋町立美術館で開館10周年を記念する「増田常徳展」が327日から始まっています(56日まで)が、私は、2日前の25日午後3時すぎ、美術館を訪れ、展示準備中の増田常徳氏にお会いすることができました。
この日は、
27日午後のパネルディスカッションの打ち合わせも兼ねていたのです。一回り作品を見せていただいた後、増田氏は、私にだけ特別にその石井十次像を見せて下さいました。この作品は、石井記念友愛社内の旧教会に約1週間展示された後、石井記念友愛社に寄贈して下さることになっています。28日午前中の除幕式までは非公開の予定だったようです。

 梱包(こんぽう)を解かれて現れた絵は、衝撃的でした。
生きた石井十次がそこにいる、そんな生ま生ましさが私に迫って来ます。その肌に血の気を感じ、特に目は私の心を見透かすように凝視しており、エネルギーを内包しています。
30代と思われる100年以上前の肖像写真を送ったのですが、今まで見たどの肖像写真(画)よりも、品格と力を感じさせる石井十次です。祖父の児島虎次郎も十次の肖像画を描いていますが、亡くなる1年前(大正2年)であり、すでに燃え尽きて、死を予感させる絵であり、この絵とは対象的と言えます。
                                       

 常徳氏の石井十次像は、右手で杉の苗を胸に抱くように持っていました。
そして、常徳氏は、「これは森次郎君です」と言って下さったのです。私はもう言葉を失い、じっと見つめるしかありませんでした。
胸がいっぱいになり様々なイメージがあたたかく広がっていきましたー。

 常徳氏との御縁は、昨年の夏に始まります。
高鍋町美術館の田中隆吉館長、画家の大上敏男氏、佐々木画廊の佐々木啓吉氏に案内されて、石井十次資料館を見学に来られた時です。高鍋町美術館の
10周年記念事業として、増田常徳展を企画され、その下見に来られたようでした。お恥ずかしながら、私は増田常徳という画家を知りませんでしたし、いつものお客に接するような姿勢で説明させていただきました。田中館長の案内の様子から見て、かなりの実力の持ち主なのだろうくらいは察することができましたが、今回のような“導き”が隠されているとは予想もしませんでした。常徳氏は、その時の視察で、すっかり石井十次に魅了されたようでして、
美術展はすぐに決まり、私あてにも、丁寧なお手紙をいただきました。

 「石井記念友愛園を訪問し草次郎様にご説明を頂ながら、感慨深い思いに浸るとともに、人間の果たす役割を目の当たりに思い知らされ、その衝撃に身が震えるほどでございました。高鍋での展覧会の意義とコンセプトはここにあると直感するに至ったのです。」
 そして、氏は、氏の後援会「西風の会」の名前で、「石井十次の会」にも入会してくださったのです。人間は偉くなると、自分中心に回りが動きますので、次第に気配りを失っていき、感性も鈍化していくものですか、常徳氏のこの反応に、私自身が感動させられ、その人間性に興味は持ちました。しかし、その後、田中館長から頂いた資料の中の画の写真はどれも暗く重く(大袈裟に言うならば地獄絵のごとく)、どちらかと言うとあまり近づきたくない世界のようにも感じていました。
 私は、職業がら、子ども達に対し常に「プラス思考で物事を考えよ、感謝の気持ちを持て」などと話しますし、自分自身もそういう姿勢で生きるように努力しています。友愛園に来る子ども達が背負わされている荷物は重く、親や世間を恨むような後向きの姿勢では、特に社会に出てから壁を乗り越えていけないからです。社会は人間関係で成り立っており、どれだけ自分を信じてくれる人を確保できるかで道は決まっていくのです。私自身の感性としてはカフカやドフトエフスキーを愛する青年でしたので、内向きなのでしょうが、この仕事についてからは脱皮したつもりですし、「暗い世界」にはできるだけ近づかないようにしているのです。

 その後、時がすぎ年が明け、111日、息子森次郎の突然の死を迎えることになります。田中館長から常徳氏にその情報が伝わり、2月の「友愛通信」を読まれた常徳氏から更に心のこもったお手紙が届きます。
 「ゆうあい通信を拝読させていただき、事故の凄まじさと、残された者の打ち拉がれた思いがひしひしと伝わって参りました。」
「私は絵描きですので、森次郎様の肖像画を描かせていただき、児嶋草次郎様、ご家族様、関係者の皆様、そして自然界の全て森羅万象の慈悲へと繋がることを、此のたびの御縁と考えております。」

 常徳氏の御活躍に比べたら、私などの田舎の雰細法人の一園長にすぎないのに、なぜここまで、誠実に細やかに心を向けて下さるのか。息子の肖像画を描いて下さるとは、私にとっては最高の励ましとなるのかもしれません。しかし、私はお断りし、代わりに、「石井十次」を描いて欲しいとずうずうしくお願いしてみました。
私は、
228日発信の手紙に、次のように書かせていただいています。

 「石井十次と一緒に働いていた職員、そして当時の子ども達は、ここに一つの理想郷を作ろうとしました。今から約100年前です。しかし、現実は非常に厳しいものでして、十次はその実現した姿を見ないままに、この世を去っていきました。
一緒に夢を追った職員達もその後次々に世を去り、子ども達もやがて大人になりそれぞれに散っていきました。

 時がたち、今、私達は新しい理想郷作りに挑戦しようとしています。それは、“障害者と共に作る工芸村”であります。私は石井十次の末裔ですが、私だけではあなく、この地域に独立された石井十次から学んだ人達の末裔の方々の中にも賛同者がなられて、一緒に新しい夢を追おうとして下さっています。
100年という年月を越えて、夢を追い続けるというのは、美しい話だと思いませんか。」
 「息子もその群の中の一人であったと思っていただけたらいいと思います。そういうことですから、肖像画の方も息子ではなく、石井十次や石井十次に続く人々を描いていただければありがたいです。」
 その手紙には、石井十次の肖像写真以外に、常徳氏のイメージを作る手助けになるような写真数枚を同封させていただきました。
 今思えば「息子の死」という暗い世界に埋没しそうになっている自分から逃れて、今取り組んでいる新たな仕事に向けて自らを鼓舞する何か力となるもの、支えとなるものを求めていたのかもしれません。
 常徳氏からすぐに返事が届き、次のように記されてありました。

 「森次郎君が父草次郎様と私に石井十次の肖像画を描くべく、懸け橋を架けてくださったのではと感じております。石井記念友愛園の理想郷作りの一隅のお役に立てることを、ありがたく進めてみたいと思います。」
 そのお手紙の日付が34日ですから、それから20日足らずで、石井十次の肖像画は描かれたことになります。その技倆(才能)は驚くばかりですが、私は更に、常徳氏の人間性に一層の感動を覚え、その人生に強く関心を抱くようになりました。

     増田常徳氏は、昭和23年生まれで、私と同じ団塊の世代です。長崎県の五島列島の出身。中学生時代は美術部に在籍し、西日本スケッチ大会で金賞を受賞するなど早くから才能を発揮し、高卒後は美大進学を志望しますが、家業の建設会社を継ぐために断念。すぐにその建設会社も倒産し、男兄弟で神戸の建設現場に出稼ぎに出ます。
1969年(20歳)頃だそうです。私が一浪の後に大学に入学した年ですし、世の多くの大学が70年安保戦争で荒れ狂っていた頃です。あの当時、ヘルメットをかぶって街で暴れていた学生達を、常徳氏はどのような思いで見つめていたのでしょう。
私は、毒虫のように部屋に閉じこもって、小説ばかり読んでいました。

 氏は、働きながらも画家への夢を捨てず美術研究所等へも通いながら、独学で力をつけていきます。結婚は26歳と資料には書いてありました。327日午後のパネルディスカッションの時、私は氏に、「支えているものは何ですか」と質問してみましたら、「コンプレックス」と答えられました。おそらく、氏のこのコンプレックスを支えた人が奥様なのだろうと思います。初期の頃美しい裸体画を多く描いておられますが、モデルは奥様のように感じます。その後、83年、昭和会展林武覚、上野の森美術館絵画大賞展佳作賞、89,安田火災美術財団奨励賞展新作優秀賞など数々の賞を受賞し、画家としての地位を確立。

 しかし、次第に売れる癒し系の絵を描くことに疑問を抱くようになり、関心は次第に現代史の負の部分へ向かうようになっていきます。ここが常徳氏の誠実さなのでしょう。そして特に2005年ドイツに留学してからその画風は暗く重くなっていったようです。
 今回の美術展に際し宮崎日日新聞の記者に対して、常徳氏は次のように答えています。
「日本は漆や墨のように透明で神聖な黒の文化。ドイツではペスト(黒死病)のように黒は悪魔の象徴。私は両者の精神文化を合体させようと模索した。」 「昼と夜はどちらが価値があると思いますか。生産性から言えば『昼』と答える人が圧倒的かもしれないが、実は両者の価値は全く同じ。」

 私は、この記事を読んで随分楽になりましたし安心もしました。先ほど失礼な表現をしましたが、日本には、神聖な黒の文化があったと思いなおすならば、また違った見方もできるのかもしれないからです。そういう思いで常徳氏の作品群を見直し、私なりのとらえ方をすることができるようになりました。これは、ノートにメモしたものですが、そのまま書き写しておきます。
 「黒の世界の美しさを追求している。その美しさというのは、人間の本能の欲求(例えば性的なもの)に答える次元の美しさの域を越えた世界のもの。欲をできるだけそぎ落として、そこに存在することそのものが美しい、そんな世界を求めているのではないか。
 やがて彼は、禅寺や茶室の土壁に飾るにふさわしい絵を描くようになるのではないか。すでに光明のない世界に開花するハスの花の絵「白酔郭」(2006)などは、その世界の絵だと思う。
もしかしたら裸婦をもそういう世界に描こうと試みているのかもしれない。例えば、制作時には、エロチックだった仏像が何百年という年月で次第に風化し、その仏像に付着していた人間の様々の欲望も気化してしまい、自然と同化し、人間世界から解放された一つの自然物として美を放つ。そんな存在として対象物を描こうとしているのではないか。それは、何百年という長い時の移ろいを一瞬に凝結する世界。」

 藤島武二の「ライオン教育」の絵が、明治36年に大原孫三郎から石井十次に寄贈されて以来100年以上に渡って、多くの若者の自立を激励して来たように、今回描いていただいた石井十次像は、これから多くの職員や関係者、否、もっと多くの人々を支え励ましていくことでしょう。
胸に抱く杉の苗木は、私の息子という次元を越えて、現代に生まれる子ども達すべてをさしているようにも感じれるし、もっと大きく、森に木を植えて、地球を救えと石井十次が訴えているようにも取れます。
見る人に対して様々のメッセージを準備している肖像画であると思います。


         増田常徳様、ありがとうございました。旧教会での鎮魂と感謝の会に御参加下さいました「西風の会」の皆様、ありがとうございました。また、すばらしい演奏をプレゼントして下さいましたギタリストの佐藤達男様、ピアニストの平沢匡朗様、ありがとうございました。そして、常徳様を導いて下さった天に感謝です。


*この文は、「ゆうあい通信」2009年4月号に掲載されたものです)


社会福祉法人石井記念友愛社
     宮崎県木城町椎木644-1
   TEL0983-32-2025FX0983-32-3916

          方針
   自然主義 健康をつくります
   家族主義 家族をまもります
   友愛主義 家庭をささえます

   到達目標
 友愛の地域社会つくり

  ゆうあい通信
石井記念友愛社の現・理事長児嶋草次郎のエッセイです。友愛社と茶臼原の日常が綴られます。

石井十次は、日本における福祉事業の先駆者です。慶応元年(1865)に高鍋町に生まれ、最初は岡山で医学を学んでいましたが、ある貧しい母子との出会いをきっかけに、23歳で本格的な児童救済事業を始めます。岡山孤児院を創設し「児童福祉の父」と呼ばれた十次の元には、一時は1200名もの子どもたちが保護されたといわれます。施設内には私立の小学校も開設され、ユニークな教育も行われました。石井十次が児童福祉の父・福祉の先駆者などと呼ばれるのはこのことによります。

やがて、フランスの思想家ルソーの『エミール』の感化を受けた十次は、 木城町と西都市にまたがる茶臼原で「自然・労作」教育をしようと、 明治27年、岡山からの大移住を開始します。 児童や職員はもとより、建物も解体して茶臼原の地に再現し、そこで理想的な農村共同体を実現するつもりでした。

ところが、大正3年に十次は志半ばで倒れ、その事業はいったん閉じられます。

その後、昭和20年に太平洋戦争被災児救済を目的に再開、『石井記念友愛社』として創設され、児童養護施設や保育園も運営されることになりました。当時の建物はそのまま残され、一角に建てられた資料館には十次の遺品や岡山孤児院のさまざまな資料が保存・展示こされ、十次の偉業を伝えています。

現在の友愛社は、これらの歴史と理念を継承し、約50人の園生が生活する「友愛園」と友愛社が運営する七つの保育園、二つのデイサービス事業、石井十次の生涯と友愛社の歴史を記録する「石井十次資料館」などを中心に運営されており、また、それを支援する後援会「石井十次の会」があります。そして今年(2009)「茶臼原自然芸術館」(障害者就労継続支援型事業)が開館、自然布の染織と無農薬農業の実践を通して障害者の技能習得と自立を支援します。豊かな自然に抱かれた茶臼原の大地で、石井十次がめざした「福祉と芸術が融合した理想郷づくり」の夢の実現へ向けて石井記念友愛社の新しい歴史が刻まれてゆきます。

       理念
天は父なり人は同胞なれば
互いに相信じ相愛すべきこと
   〈石井十次の言葉〉

祈りの丘ギャラリーは、かつて石井十次とその仲間たちが祈りを捧げた古い教会を改装し、絵画展や写真展、演奏会などの会場として利用しています。遠景には<遠く米良の山脈が霞み、周辺には茶臼原ののどかな田園風景がひろがっています。

祈りの丘空想ギャラリー